7/1(木)「決断-人生を始めた月に-」
東野圭吾「さまよう刃」「殺人の門」、読了。
そして「ボブ・ディラン自伝」へ。
目くるめく早さで本を読んでいるこの1週間。もっと他にも読んでいる。題名は、忘れた。架空のストーリーに没頭していると、時が経つのが惜しくなる。登場人物に自分を重ね合わせ、そして自分を責め、自分を問い、自分は弁解する。繰り返し。LOOP。うまく言ったもんだ。LOOP。なるほど。LOOPってLOOPだ。繰り返すってコトバだけではうまく表現出来てない、この感じ。その輪っかの中に自分を嵌め込んでる。
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書こうと思う。
2009年1月某日、まだ名前のなかったバンド"The Ventz"をスタートさせる。目標は1つ。
「イギリスで初ライブをするバンドを造ろう!」
ビートルズを初めて聞いた小学生の頃、僕の未来は輝いていて、そうして僕は僕の中の何かをスタートさせた。ずーっといろいろあって、僕は2009年1月の僕を立っていた。未だこんなところに。
それらすべてを呑み込むには僕なりのアクションが必要だったし、それがたまたま運命を共にするメンバーとの巡り合わせやったんやと思う。イギリスどころか、飛行機にすら乗ったことのない僕が、前身バンド"HITMAN STYLE"を通じて旧知の仲だった鳴菌と、海外への距離感という意味ではとても信じることの出来なかったA.K.と、3人で「イギリスで初ライブをするバンド」"The Ventz"をスタートさせたのは、必然だったんやと思う。
すべてが順調に思えた2009年の前半に比べ、2009年後半はドラマーとの連絡が付かないという、自力では頑張ることの出来ない時期だった。すぐに他のドラマーを探せば良かったのか?いや。違う。待っていたのは、それくらい最高の音を出すドラマーやったってこと。そこへふと持ち上がった「イギリスに来るかい?」というスチュアートの一言。「単身でもイギリスに渡る!」と強くココロに決めた直後のこの状況の変化に、今も驚いてる。そして正式にドラマーは帰って来ることがなくなった。"WAX1人ではなく、フルバンドで2月にライブが出来、プロモーターに見せることが出来れば、2010年の夏に行なわれるイギリスのフェスに出演が可能になるかも知れない"というスチュアートからの進言により、「メンバー3人でもイギリスに行くんだ!」と強く誓う。が、2010年1月、渡英直前、まさかの鳴菌脱退。
それでもA.K.と強行突破。2人でイギリスに乗り込み、Jimというイギリス人ドラマーの助けも借りて経験値を上げる。これは僕にとって尋常なことではなかったし、今でも焼き付いている。あのロンドンの活気、イギリスという国の持つ気品、プライド、情熱、優しさ。知ること、感じること、空気に触れること。この年齢にして、カルチャーショック。これは逆にスゴイ。
だけど、今まで感じてきた価値観が間違っているとは思わなかった。むしろ正しかったのだ、と。ただ、僕には訂正するところが、あらゆるところで見付かってしまった。
そして1度はオッケーをもらったハズの、Hitchinで行なわれるフェスティバル"Rhythms of the world"出演の白紙撤回。出演出来なかったこと自体が本当に悔しかったのは事実だけれど、それよりも「成功への美学」を見せることが出来なかったことの方が悔しかったことを告白する。
僕は見られ方に囚われ過ぎていた。
「初ライブをイギリスで!」ということに、誰もが「出来るわけないやん…」と感じていたことを、僕は知ってる。けど、僕には確信めいたものは確かにあって、それをクリアすることが目標ではなかった。その先にある「イギリスのフェスに独力で出演決定」。これを見せて初めてインターネットの向こう側を唸らせることが出来るんだ、と思ってた。
これはバンドにとって、想像以上の挫折やった。理由は、The Ventzの音楽以外のところに理由を押しやっていたから。「どう見えるか?」を気にすることで、「何をしたいか?」を見つめ直そうとしなかったから。
そして思い出す。「イギリスでオレは何を得たのか?」を。
訂正しなければなぬ。
だから、もう一度The Ventzをスタートさせるべきだったんだ。今度は「何をしたいのか?」を。
10日ごとに新曲をMySpaceにアップすること。2ヶ月に一度、ライブハウスという空間で、インターネットの向こう側ではなく、目の前の人々と一緒に楽しむイベントをすること。バーやカフェという空間の中の「生活」の中で歌うこと。外国人と知り合い、英語を喋れるようになること。
そうして来年の7月、もう一度"Rhythms of the world"に挑戦することと共に、「アビーロードスタジオでレコーディングしたい!」、そう強く願い、実現に向けて僕はすでに動き出している。
「イギリスのフェスでThe Ventzの音楽をやり抜くためには?」
「アビーロードスタジオでThe Ventzの音楽をやり抜くためには?」
この2つの柱を目標とするからこそ、「その程度の曲でいいのか?」「その程度の技術でいいのか?」「その程度のパフォーマンスでいいのか?」「その程度の英語でいいのか?」を自問することになる。サボるわけには、いかない。
同じ目標を保ち得る仲間と、イギリスに行きたい。アビーロードに行きたい。
A.K.は辞めた。彼女は以前から弾き語りもしているし、そのこととThe Ventzとのバランスがとても難しかったと、思う。それでも「歌いたい」という気持ちを持って去ることを決意したんやから、僕はそれはとてもいいことやと思っている。先日のライブでも彼女の友人に言われたそうな。「バンドもカッコイイけれど、彼女自身が歌う時にまた見に来たい」って。歌い手として、そう言われることは、とても嬉しいことだと思う。それなら、バンドじゃなく、歌う私を見に来て欲しい、と。オレなら、そう思う。そう思うA.K.なら、僕はそれでいいと思う。一緒にバンドをやって来れて良かったと思う。
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ボブ・ディランの自伝に、こうある。子供のころバンドをつくると、いつもまだバンドを持っていないシンガーに横取りされてたそうだ。
「わたしはバンドとは必ずなくなるものと考えて、そのとおりのことが起こっても驚かないようになった。歌を歌って演奏をするという決意は変わらなかったから、バンドをつくりつづけた。とりやめになったり、ただ待たされたりすることが多く、喜ばれることも認められることもほとんどなかった。…中略…。そしてこのころから、ひとりで演奏して歌う技術を身につけて、金を払ってバンドを雇えるようになるまでは、ひとりでやっていこうと考えはじめていた。」
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僕は今、子供ではないし、ありとあらゆる状況がディランとは違う。だから、同じように重ね合わせているわけではない。
ただ、自分のなりたい自分を想う強い気持ちに、僕は揺さぶられた。若干二十歳のディランが彷徨ったであろうニューヨークの風景を、僕が2月に感じたロンドンの風景に重ね合わせた。
思えば中学の頃から音楽仲間、バンド仲間に恵まれていたとは言えず、それを怨む気持ちがなかったわけではない。中学や高校の仲間で組んだバンドたちが、それぞれデビューしていく姿を何度目の当たりにしたことか。自分ならもっとやれるハズなのに…と悔しい想いを、今でも確かに持っている。
だからこそ、僕は僕の中のあらゆることを、今、訂正しなければならないと思う。イギリスに行って感じたことの正体は、実はこのことに他ならないのではないか?と。
どうしても僕の中に巣食うコンプレックス。これを突き破らねば、何度も同じことの繰り返しになってしまう。
確固たる勇気を持って、決断を突き通さねばならない、そう思う。
同じくディランの自伝から引用したい。
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「ヒトラー、チャーチル、ムッソリーニ、スターリン、ルーズヴェルト、二度と匹敵する人物が出ないであろう巨人たち、よしにつけ悪しきにつけ自身の決断を信じた人々、単独で行動して他人からの承認に関心がなかった人々、富や愛に頓着せず、人類の運命を支配し、世界をがれきの山に変えた人々。アレキサンダー、ジュリアス・シーザー、ジンギスカン、シャルルマーニュ、ナポレオンの伝統を引き継いで、彼らはご馳走をきりわけるように世界をきりわけた。髪をまんなか分けにしていようが、ヴァイキングの兜をかぶっていようが、拒絶されることなく、侮られることのない人たち、地球を駆けめぐり、自分だけの地理学をひねりだした粗野な野蛮人たち。」
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なるほど。僕が与えた僕の解は、今は僕の中に閉じ込めておこうと思う。
イギリスという国で大きなライブがしたい。アビーロードスタジオでThe Ventzの音楽をレコーディングしたい。
だからそのために、決断を押し通す。
自信の持てるウタを書く。曲を書く。
いい曲を書くためなら何でもする。
明日、セッションをする。いい曲を書くための、パートナーだったのかも知れない。
そして1人になった?
どうやろう。最初から1人なのかも知れない。最後まで1人じゃないのかも知れない。

